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劇場前、メピウスのしっぽで編んだ映画と現実
ホン監督はそんな主人公たちを通じてその階層の偽善と恥部を一体の美化や憐愍なしに赤裸々にそのままを透写し出す。したがって彼の映画を見ていればお酒を飲んで不快になった席からぐらぐらと起こり始める性的欲望の身震いを代理体験するようになる。問題はその代理体験が果して代理体験なのかと言う点だ。それは彼の映画を見る観客たちが一度は、いや数百回は経験したことの再現だ。
ホン・サンスが創造し出した主人公たちに付いて行ってみるとその幼稚さと厚かましい行動にくすくす笑うようになる。しかしすなわちその笑いが自分に対する冷笑と侮蔑から始まったことなのをある瞬間悟るようになる。映画の中の主人公や自分や別に違うことが無いということが分かるようになるからだ。その時初めてホン・サンスの映画がどんなに冷たくて冷淡なのか感じることができるはずだ。彼の映画には人間に対する薄っぺらな憐愍や期待が全然ない。<劇場前>はその脈絡を再び確認することができる映画だった。


変わらないサンスさん
ホン・サンス映画はトートロジー(同語反復)の要素がある。主人公がいて彼はヒロインを前にしてお酒を飲む。そして旅館に行く。朝起きて見れば前日の夜の情事はいわゆる愛やなにかの感情の交流のため起きたのではない。
それにもかかわらず主人公たちは全然戸惑っていない。<劇場前>もこれと特に違わなかった。ホン監督の六番目の映画<劇場前>また基本的に彼の前作のように叙事よりは事件と状況、そしてキャラクターの力で映画が進行される。
先輩が作った映画を見て乗り出した映画監督志望生ドンス(キム・サンギョン扮)はその映画の主人公だった女優ヨンシル(オム・ジウォン)を見るようになって彼女を一日中追い回す。以前の映画に比べて<劇場前>がおもしろいのは映画の中の映画が登場するということだ。
ランニングタイムが約90分位になる<劇場前>で主人公と言えるドンスの登場する時間は半分位外にしかならない。その前部、ドンスが観覧した短編映画が約40分位にもなる。映画の中の映画だと恥部(?)するにはその比重が大きい。またその映画の中の映画がドンスが登場する部分とメピウスのしっぽのように絡まりながら現実と映画、映画と現実の関係を観客たちが悩むようにする。
それでもサンスさん
韓国映画評論界を代表する評論家チョン・ソンイルとホ・ムニョンが映画のコメントを引き受けた。彼らの名前で類推することができるようにコメントはとても真面目ながらも衒学的な雰囲気が漂う。まるで映画をおいて専門的な講義をする雰囲気だった。彼らの結論はホン・サンス映画はしきりに繰り返して見るほど新しく感じられるということ。そんな側面でホン監督に対する変わりない支持を送っている。
しかしいざホン監督本人の音声がないのは残念な点だった。また俳優たちインタビューとコメントの外に何の付録がないこともDVD愛好家たちには不満な部分だった。それに劇中ヒロインであるヨンシルの名前をウンシルと間違って表記したセンス(?)はタイトル完成度にきずとして残った。

ホン・サンス映画は残忍だ。この言葉に同意をする人だけが敢えて彼の映画をまともに見ていると言いたい。しかし反論を申し立てる人もいるかもしれない。彼の映画のどこに残酷な映像が出るのか?あたってる言葉だ。ホン・サンス映画にはある面から見れば彼と対蹠点(たいせきてん=正反対)を成しているキム・ギドク映画のように暴力的や眉をひそめるようにする血だらけのシーンは出ない。
残忍なサンスさん
それにもかかわらずホン・サンス映画は残忍だ。彼の映画に登場する主人公たち大部分は大学を出て取締役会の中産層を成すとかその周囲にいる「人物」たちだ。



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