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映画『哭声』(THE WAILING)に対する解釈
映画『哭声』は、韓国社会の現状に投じられた監督の問題意識が激烈に現れている作品。 この映画を鑑賞した後の観客の反応は様々だ。 良いという評と良くないという評、両極端に分かれる。 しかし、大体において不快という評が主立っている。 しかし何故、観客が集まるのだろうか? 多分、好奇心を抑えられない韓国人の特性ではないだろうか…

映画を観た観客の大多数が、映画を理解したとは思えないからだ。

映画『哭声』には、主人公であるジョングを中心に、周りの人物が中心の3つのキーワードがある。  
狂女の無名(チョン・ウヒ)とよそ者(国村隼)、イルグァン(ファン・ジョンミン)が、それだ。  

映画の中で哭声は、見知らぬよそ者(国村隼)が表れてから起きるようになった謎の連続事件で、村は大騒動となる。
主人公は平凡な朝鮮人を象徴している。 彼は、警察官だが愚かな人物でもある。 一般人を守るべき人物だが、怖がりで守る能力は無い。 しかし、自分の娘に悪魔の刃が向けられ、死の影が一歩一歩近づくと、立ち向かっていく。

この時、3つのキーワードはまた異なる2つで代弁される象徴的動物の犠牲を通して、善と悪を表す。  
悪の中心にはよそ者(国村隼)がいて、彼の象徴は烏だ。 善を代表する無名(チョン・ウヒ)は地鳥だ。 悪の祭壇の生贄は地鶏で、善側から悪に対抗する無名は烏を殺して生贄とした。 

ドラマチックな反転の中心には、イルグァン(ファン・ジョンミン)がいる。 彼は、地域を代表する有名なムダンだが、無名(チョン・ウヒ)が悪を追い払うために甕に入れておいた死んだ烏を探し当て、村を守るチャンスンにくさびを打ち込む。 何故なのか? 彼が服を着替える時、よそ者と同じ下着(ふんどし)をつけているシーンを見せることで、監督は彼の秘密を見せたのだ。

映画は、開始部分で見せる悲劇的なシーンで最期を飾る。 善と悪の戦いで、悪が勝利することで幕を下ろす。 人間の信じる事が不足で無名(チョン・ウヒ)へのジョング(クァク・ドウォン)の不信で表象される。 

朝鮮半島の歴史は、不信の歴史だ。 汚染された権力と宗教は、民衆を絶望の奈落に突き落としてしまう。 よそ者(国村隼)の侵略で始まった朝鮮半島の悲劇は、悪の助力者イルグァン(ファン・ジョンミン)の狡猾なパフォーマンスで終着駅に到着する。 全身全霊をあげて闘った無名(チョン・ウヒ)は、ジョングが背を向けたことで力を失う。 終着駅で待っている現実は、過去には日本の植民地に転落することで、今日では日本文化の占領地になった現実だ。  

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