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小説家 黃笥 (ファン・ソギョン)と彼の作品世界

『張吉山』の作家 黃笥 (ファン・ソギョン)さんは1943年に生まれて東国大学哲学科を卒業した。彼は1962年に<思想界>で新人賞を受賞し、1970年に朝鮮日報新春文芸を通して文段に出る。以後、ファン・ソギョンさんは創作集『客地』『三浦に行く道』『豚の夢』、長編小説『暗闇の子供たち』『武器の陰』などを発表して最も注目される作家の中のひとりに数えられて来た。

そして彼は74年7月から84年8月まで17世紀末の肅宗時代の義賊を描いた大河小説『張吉山』を韓国日報に連載して大河小説の新しいシーンを開いたという評価を受ける。

彼の小説に向かい合う時、読む者は最初はそっけなく、またはちょっと鬱陶しいようじっくりと読み入るようになる。すると物語りが進んで行く過程では荒っぽい言葉と悪口または悪どく醜く眉をひそめるほど苦しい場面が示される。

1971年に発表した中編<客地>は勤労者の生涯と社会の基本理念の問題を浮上させたことで時代の岩壁を貫こうする行動精神が伺える。特に<客地>は解放以後から70年代に至る韓国文学で始めて勤労大衆の問題を本格的に作品化したという歴史的な意義を持つ。

<客地>は海岸干拓工事現場の日雇勤労者の現実を扱った小説として、いつからなのか家庭と故郷を離れて客地を流れながら荒れた状況と食事のための労動に身を任せる、社会の底辺の暮らしを生きる人々の話だ。それでも彼らは工事現場で人間的な暮らしと監督とやくざの横暴に抵抗する。強い現場性と動感で衝撃を与えたが、ほとんどルポ小説のように経済的な現実の出来事に対する正しい芸術の反影が見える。

また他の作品では、民衆の次元で私たちの社会の現実を暴こうとする作家意識が表現された<森浦へ行く道>と<豚の夢>がある。この二つの作品は社会と都市から押し出された底辺の人生の疼く辛さと悲しみにもかかわらず、その暮らしに挫折しないで生きて行く人々の生命力を読むことができる。<森浦へ行く道>は映画化したように、全般的な背景や内容が映画のようだ。

<豚の夢>はソウル場末のパンジャ村の蜻蛉生活の姿を描いた。作家は観察者や外来者の立場に立つのではなく、都市のあらゆる文化の恵沢から除かれた下層民の生活の中に、社会から疏外された人間像を傷々しく遠景で描いたり、主観的に描いたりするよりは徹底した客観性でファン・ソギョン自身の意識がその世界に深く介入し密着して表現される。荒い卑語と悪口、隠語、俗語が発散されるが、その中に隠れて流れる憐愍と愛、堅い義理と豊かな人情が生きていて余裕としゃれを感じて読者に濃い感動を与える。

特色としては「社会の底辺の人生」を扱う作品が支配的に多くなったということだ。この現象に対して文段の一部からは「底辺の人生を描くことだけが小説なのか」という批判的な見解が出たが、この現象は一つのはっきりした成り行きで現われた。

このような姿の登場は当時の韓国社会のいわゆる急激な国家政策の産業化の趨勢とそれによる離農人口の急増による「都市貧民化」という現実の反影だった。このような現象は見ためには社会を発展させるようだったが、いざその内にいる人間たちはその多さによってむしろ疏外される現象までも見せた。このような現象は当時の作家に問題として提議され、そのようは現象が表現し始められたのだ。
疏外階層の話が主を成すこのような潮流は、現代産業社会までもその姿を見せている。

10年の間連載されたファン・ソギョンの大河長編小説『張吉山』は、8年間1年に一冊ずつ発刊されて二百万部の販売記録を打ち建て、最近では作家が新たに手を加えて違う出版社から再版された。韓国の代表大河長編小説の中のひとつである『張吉山』。この本を読んでいない人は多くても、この本の名前を知らない人は珍しいほどに広く知られた韓国の現代文学の古典。すべての古典がそうであるように、この本もわずかな話題で終わらずに、長い間読者に愛されるロングセラーとして落ち着き、文学を学ぶ人には自分のリストから外せない必読書として数えられる作品だ。

著者ファン・ソギョンさんが韓国日報にこの小説の連載を始めたの1974年7月、そして連載を終えたのが84年7月。この小説はちょうど10年の歳月にかけて書かれたわけだ。

新聞連載が続く合間に単行本化が進み、『張吉山』第1部の初版が発刊されたのは76年5月。10巻すべてが刊行されたのは84年7月。8年にわたって年1巻ずつ発刊されたのだ。ところでこの本は初版が出てからたゆまぬ反応があったし、本が完結した後もずっと同じような速度で売れて行き、現在までの部数は2百万部。本が全10巻だから20万組が出たわけだ。

彼のすべての小説の関心分野が何であれ間に「リアリズム」を追い求めていると見ることができる。それで彼は韓国的リアリズムの代表走者として認識されたりしている。しかしある評者によれば彼のリアリズムは「アイデアリズム(浪漫)」と通じるものがあると言う。「三浦へ行く道」に代表される彼の理想郷は、じめじめした現実と荒っぽいセリフの中に把握しにくいが彼の全作品をひっくるめて追い求める「理想」と言う「人間愛(ヒューマニズム)」だ。彼の童子と渡り者と戦争で傷付いた人と、賎民に対する暖かい眼差しを通して彼のヒューマニズムを確認できる。しめっぽい話になってしまったが死の極限が生に通じるように、リアリズムの端はアイデアリズムであり「浪漫」なのだ。


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