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作曲家兼アルバム製作者キム・ヒョンソク

『歌手は歌が上手であるべきでしょう。‘企画の勝利’‘広報の勝利’と言われ、歌のへたな歌手をスターにすることは大衆に対する‘詐欺’です。』

『ちゃんと訓練されてない歌手は大衆の目の高さを落として、音楽を文化ではなく単純な娯楽に転落させています。そうでなくても歌手がTVで歌わずにコメディアンをしている状況なのに…。』
作曲家キム・ヒョンソク(37)。彼は歌より整った顔とダンスで世渡りする歌手と企画社に直撃弾を飛ばす。

『今のアルバム市場の不況が、実力のない歌手たちを淘汰させるきっかけになったら良い』と言う。

して見るとパク・ジニョン、イム・チャンジョン、ソリッド、キム・ゴンモ、シン・スンフン、パク・ミギョン、ユ・スンジュン、ソン・シギョン、チョ・ソンモ等の彼の曲をもらって歌ったスターたちは、歌唱力を認められる‘本物の歌手’たちだ。
キム・ヒョンソクの名前の前にはよく‘天才’という修飾語が付く。多くのヒット曲のためだけではない。作曲と編曲能力の他に、アルバム製作、映画やドラマ、ミュージカルに至るまで領域のない幅広い音楽性、アルバム製作者としての事業の手腕などの総合評価によるものだ。

彼は96年自らが設立したアルバム企画社「2ギャザー4エバー」のプロデューサー兼理事、ドラマ「オールイン」のOST収録曲などを販売しているモバイルコンテンツ供給業社「アジト」の代表でありながら、最近では歌手ソン・シギョンの収益事業を専担する「MU2エンターテイメント」を作った。

キム・ヒョンソクは本来クラシック出身だ。しかし漢陽大作曲科在学時の同じ科の先輩であるユ・ジェハ(87年交通事故で死亡)の歌が好きで大衆音楽に興味を持つようになり、「動物園」のメンバーと親しくなって録音室に出入りしながら、89年キム・クァンソクがソロを始める時に「愛という理由で」を書き、イン・スンイに「別離の練習」と言う曲をあげて本格的にこの道に足を踏み入れた。そしてキム・ゴンモが歌った「第一印象」がTVの歌謡番組で5週連続1位になり、作曲家としての名が知られるようになった。

在米韓国人の3人組みR&BグループSOLIDとの出会いは、彼にも幸運だった。ファ−ストアルバムを失敗して、94年にセカンドアルバムを準備していた彼らの歌をアカペラで聴いて息が止まりそうな衝撃を受けた。

当時、韓国内の歌謡界に上陸していなかったR&Bは唱法が無限でハーモニーとリズムに変化が多様な、勉強するものが多いのジャンルだった。彼らに作ってあげた「この夜の終りを掴んで」は発表されたとたん旋風を起こし、セカンドアルバムは160万枚の販売を記録した。

キム・ゴンモのバッグダンサーをしていたパク・ジニョンは、キム・ヒョンソクを師として2年間の音楽勉強をして、ファースト、セカンドアルバムを出した後に独立、自作曲で6集まで出し、今は師匠を脅かすほどの代表的なプロデューサーであると同時に事業家に成長した。

イム・チャンジョンはファースト、セカンドアルバムで特に反応を得られなかったが、キム・ヒョンソクの曲「その時ふたたび」を歌ってヒットした。

ベイビーボックスが「ヤーヤーヤー」「Get Up」「Killer」「Missing You」などで2〜5集を出し、ユ・スンジュンは「ナナナ」の3集でスターの班列に昇った。この他にソン・シギョン、ユリサンジャ(ガラスの箱)、ボア、パク・ヨンハ、ジョエンがキム・ヒョンソクに出会ってファーストアルバムを出した歌手たちだ。

タレントのパク・ヨンハはSBSの人気ドラマ「オールイン」の主題歌の‘初めてのその日のように’を歌った幸運の主人公。
キム・ヒョンソクが曲を作り、歌に合った声を捜しているとき隣でファーストアルバムの準備をしていたパク・ヨンハがこっそりと曲を盗んで練習し、録音テープを提出した。「努力が喜ばしく、歌も良いのでパク・ヨンハにチャンスを与えた」というのがキム・ヒョンソクの説明。

彼はパク・ヨンハに対して「専門の歌手よりうまくない幾つかの点があるが、声の感じが良い。歌手が舞台に立つことも演技だ。やはり演技をして見た人が歌が上手だ」と演技者出身の長所を紹介してパク・ヨンハには「努力する点を高く買える」と誉めた。

彼はいつも才能が60、本人の努力が40だと強調する。それで新人を選んで6ケ月置いて見て、能力があっても熱心でなければチャンスを与えない。デビューすれば放送出演とCM、各種イベントで練習時間まで不足するので努力しない歌手は短命でしかないというのだ。
そんな点でキム・ヒョンソクを一番感動させた歌手はSOLID出身のキム・ジョハン。天賦の才能を持っていても食事する時でも、道を歩く時でもいつも自分が準備している音楽を口ずさみながら沒入している。パク・ジニョンも新人の時、コード3つを教えれば夜を明かして1週間で10曲書いて来る努力派だった。

キム・ヒョンソクの「私に来る道」で2001年の最高新人になったソン・シギョンは、歌手経歴が2年しかならなくとも才能と努力を認められてパク・ジニョン、キム・ジョハンの後に作曲とプロデューサーの訓練を受ける愛弟子になった。
キム・ヒョンソクは、名門大生(高麗大社会学科)である上に貴公子タイプのソン・シギョンが音楽を大まかにして止めると思っていたが、「ビックリするほど」ピアノを上手に弾き難しい曲も理解するうえ「死ぬまで音楽をやるつもり」という覚悟を見せて深い縁を結ぶようになったという。ソン・シギョンは前所属事務所との契約が切れれば多くの所から10〜20億ウォンの契約金を示されたが全て拒絶、2年6ヶ月間で3枚のアルバムを出す条件で契約金は1円も無しでキム・ヒョンソク師団に入った。

キム・ヒョンソクはソン・シギョンがエルトン・ジョーンかビリー・ジョエルのように格好よくピアノを弾いて自作曲を歌う姿を描いて「歌手として最高の段階に昇ったが、これからはアーティストとしてのトップを作ってあげたい」という願いを明らかにした。
最近では初めて手を組んだチョ・ソンモの5集を、既存のチョ・ソンモの歌とは違った明るい雰囲気にプロデュースしてヒットさせている。

キム・ヒョンソクの豊かな音楽性は環境が下地になった。父も作曲科出身の高校音楽教師で、ピアノを専攻した母は家で大学入試生を教えるレッスン講師だった。

そのため生まれた時から真夜中と夜明けに入試生のピアノの音を聴きながら眠りから覚めたし早くからピアノを学んだ。しかし自分と同じ道を歩くことを警戒した父のために小学校卒業後には家でピアノを触れなくなり教会のピアノを弾いて、結局大学も父に内緒で作曲科を志願した。しかし準備不足のために一度落ちて、浪人している時にレッスン費取って正式に和声学など作曲科入学に必要な勉強ができた。

彼は作曲を専攻したことが今、どれほどの役に立っているのかという質問に「音楽は言語のようだ。作曲科では言語に必要な文法を学ぶ。文法を学ばなくてもものを言えるが、文法を学ぶことでもうちょっと多様な言語を駆使することができるようになるのだ。学校で基本的に音楽の分析を学んだので応用力ができたし、ここにインスピレーションを取り入れることで大衆音楽の多くのジャンルを消化することができるようになった」と語る。

「私の仕事は作曲家とプロデューサーとして歌手を成功させることだ。そうして見ると‘私は何なのか’という懐疑が生まれて、私自身にすまなくなる。個人のプロジェクトアルバムを出して、ミュージカルとドラマ音楽をするのはそのためだ。特に若者文化を理解してこそ可能な大衆音楽を、中年を越えても続けられるようではないので、暇々にミュージカルと映画音楽をやっている」

キム・ヒョンソク師団の歌手が参加して3集まで作った個人プロジェクトアルバム「AC+E」はアコースティック(acoustic)とエレクトリック(electric)の略字で、歌手や製作者のどんな要求もなく自由に多様なジャンルの音楽を一つにするという意味を含んでいる。

ファーストアルバムはタイトル曲「愛という理由で」をチョトリオがまた歌って大成功をおさめた。映画「猟奇的な彼女」のOSTを入れて作ったセカンドアルバムは映画のテーマ曲であるシン・スンフンの「I believe」が多く愛された。サードアルバムではタイトル曲のR&Bの「最後の風」を爆発的な歌唱力で歌ったYazが大型スターの誕生を予告して注目された。


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