ヒウォンちゃんの韓国ライフ
 じーにょのドラマ雑感
 ミンジャの韓国雑感
Home > Focus

ハインズ・ワード(Hines Ward)

2006年2月6日午前(韓国時間)、アメリカデトロイトのフォード・フィールドで開かれた第40回スーパーボールで、4クォーター勝負を決定づけるタッチダウンを含み、2度の決定的なレシーブを記録し、チームを21対10の勝利に導いた選手がいた。彼の名前はハインズ・ワード。名前は見慣れないが、彼の腕に刻まれたハングル「하인스 워드(ハインズ・ワード)」は韓国人には見慣れたものだった。
1976年3月8日、ソウルで駐韓アメリカ軍だったアフリカ系アメリカ人の父ハインス・ワード・シニアと、韓国人の母キム・ヨンヒ(55)さんの間にワードは生まれた。
身長183センチメートル、体重97キログラム、技術に長けハードウェアーが素晴らしい選手ではないが、身体を惜しまないハッスルプレーと楽天的な人生観、誠実さで看板スターの座に着いた。

ワードは2001年から2004年まで4年連続レシーブ前進1,000ヤード以上を記録し、プロボール(オールスター戦)にも出場するなど、特級の指標を充分に満たしてきている。個人通算記録は127試合出場574レシーブ(52タッチダウン)、7,300ヤード前進という記録を打ちたて、名誉の殿堂入りしたジョン・ストルワース(1974−87年、357個)を抑えて、ピッツバーグで個人通算最多レシーブを掴み取った選手として君臨した。
〔プロフィール〕
生年月日: 1976年3月8日、ジョージア州フォレストパーク
リーグ経歴: 4年
出身大学: ジョージア大
身長: 183Cm、体重:90Kg
ポジション: ワイドレシーバー(クォーターバックが投げるパスを受け取る役)
スーパーボールMVPハインズ・ワード「母が僕を作った」
ワードはスーパーボールが開かれる前、USAトゥデイとのインタビューで、「全世界がスーパーボールを見守っているということを知っている」とし、「僕は半分韓国人であるというくらい、韓国人社会を代表して最善を尽くす」と明かし、母の国を誇った。

実際ワードの後ろには、いつも韓国人の母キム・ヨンヒさんがいた。キムさんは厳しくも献身的な“韓国賢母”の典型である。“黒人と結婚した”という身内の非難を避けてアメリカに渡ってきたが、夫とは直ぐに別れた。
英語もろくに話せず満足に仕事につけなかったせいで、ワードの養育権も前夫に渡ったが、幼い息子を抱えて韓国にも帰れなかった。高校2年のときから一緒に住むことになったワード母子。スポーツをする息子を支えようと、ワードの母は皿洗い、ホテルの掃除婦、食料品店の店員など、1日に3つの仕事を掛け持ちした…

そのような母のたゆまない支えと励ましのおかげだろうか?ワードは体育特技者にもかかわらず学業も優秀で、模範生気質が身について大学時代も成績が良かった。ワードは特有の誠実さから、大学フットボールでクォーターバック、ワイドレシーバー、ランニングバックなど3つのポジションを全てこなす例のない多彩多能な選手に成長した。

現在も母の話が出ると目元を赤くするワードは、「母は僕のために苦労して仕事をしました。それに誠実、正直、愛、全ての価値を学びました」「僕はどうあがいても母が施してくれた恩を返せません」と打ち明けた。

2歳のときに両親と共にアメリカに渡った後、一度も韓国の地を踏むことはできなかったワード。“永遠の異邦人”混血児として受けざるを得なかった周囲の冷遇を克服し、遂に「アメリカンドリーム」を叶えたワード。彼は4月に、母キム・ヨンヒさんと母の国韓国を2週間訪問する予定である。[写真=NEWSIS]


Copyright(c) 2000 Innolife All Rights Reserved