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日韓文化コーディネーター腸個さん。


日本に来たきっかけや留学生活は?

韓国語講師、ナレーター、ラジオパーソナリーティー、イベントMC、ビジネス通訳・翻訳、コーディネーターなど、マルチエンターテイナーとして活躍中の腸個さん。
高校2年生の時、テレビで一目惚れしたある日本のバレーボール選手の存在を知って来日、縁もゆかりもない国から将来を変える運命の国に変わったのはいわゆる愛の力。
愛を抱いて来日するまで掛かった時間は5年!やっと彼がいる大阪までに来られたものの彼女の熱い想いは届くことなく今は大事な思い出として残っている。
“家族と離れて言葉も通じない大阪での生活は大変なことより楽しい思いばかりでした。日本語学校2年間は、午前9時から3時まで授業、その後、週5回飲食店でバイト、奨学金ももらえたから親からの仕送りは一切なく、自分で生活できました。
時にはバイト先の前掛けを外すのも忘れ、自転車で繁華街を通って40分以上ある家まで帰り、途中、学校の先生にばったり会ったこともありましたが、
日本語はまだ下手で知り合いもいなかったあの頃は夢に向かって一歩一歩進んでいるという充実感で胸がいっぱいでした。”
2年間の語学勉強を終えた後は立教大学観光学部に合格、右も左も分からない東京での新しい生活がスタート。
“大学1年生の時から韓国観光公社のイベントでアルバイトをはじめ、2002年日韓ワールドカップやいろいろな行事のMC、テレビ出演、フジテレビの人気番組で出演者のレッスン、エンターテインメント会社での芸能人プロモーションなどいろいろな経験を積みました。”
韓国語学校を立ち上げるまでは?

"大学卒業後は2年間韓国へ帰って日本語講師を務め、実は2005年にアメリカへ渡るつもりでしたがその前、親友に会うため来日、しばらく滞在したのをきっかけでトップアカデミーという学校を立ち上げることになりました。
もちろん開校まではいろいろな紆余曲折があり、今振り返るとよく学校を立ち上げたと思いますが、それは応援して下さった方々のおかげでした。
生徒さんが一番多かった時は約100人近くに及び、仕事もプライベートも全てが学校中心の生活でしたね。”

一番の危機は?

“2011年東北大地震を境に受講生は半分まで減りそのまま復帰の目途が立たず経営もかなり厳しくなりました。
それでも学校はどうしても守りたく、住んでいたマンションも引き払い何ヶ月間は、教室のソファーで寝ながら学校をやっていきましたが、結局は2013年の春、自分の手で畳んでしまいました。
経営悪化による経済的な困難も大変でしたが人間関係の難しさに直面し、精神的にも疲れ果てていました。今では相手に対する思いやりの大切さを学ぶ良い機会になったと思っています”

災い転じて福となる!

“元々結婚願望はあまりなく一生独りでも良いと思っていた私が結婚できたのはその大変な時に主人と巡り合い、彼の助けでいろいろと乗り越えられましたからです。あの時、主人と出会わなかったら今の幸せな日々はなかったかも!そういう面で私の愛の力はまだ現在進行中ですね。日韓国際結婚ですし!”

現在のお仕事は?

“あまり知られていないですが、日本内閣府から発信するラジオ放送があり、その番組のパーソナリーティーを務めています。元々高校の時、放送部でアナウンサー教育を受け、ラジオの他にも企業プロモーション、CMナレーション、韓流関連イベントの司会、ビジネス通訳などをやっています。たまにテレビに出演することもありますがテレビよりはラジオの方が向いていると思います。
あと、もう教えて10年になる生徒さん達、東京FM'オモテナシランナー協会'での特別講座など韓国語講座も続けています。
日本に来てもう18年になりますが、日本と韓国はお互いにもっと理解し、もっと分かち合え、もっと学び合えるはずです。1人で来て今日に至るまで積んできた経験や学んだことを活かしてこれからも真の日本と韓国の架橋として活躍したいです。”