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   私が失望させられた韓国映画「王の男」に関しての雑感   
クリスマスに関しては私は仏教徒だし、恋人もいないので、とりたてて感激する日ではない。日本では何時の間にか恋人達がSEXする日になってしまったが、いつから堕落した風習になってしまったんだろう。何もSEXするのにクリスマスを選んでする必要もないと私は思うのだが。聖母マリアも磔にされたイエス・キリストもきっと日本の現状を憂いて我が身をも嘆いているであろう・・・と思う。

イル子先輩もあきさんも書いているので、取り立ててコメントする事もないと思っていた韓国映画「王の男」だが、あまりの質の悪さに批評を書いてみる事にした。この映画を絶賛する人には申し訳ないが、私はまずその人の映画を観る目を疑うと思う。あらすじ等は省略するが、なんと云っても「尻切れとんぼ」の状態で終わってしまって、観客に何を伝えたかったのかが分からなかった。同性愛的要素を伝えたかったのか、暴君の孤独を伝えたかったのか、韓国の伝統芸能の素晴らしさが云いたかったのか、それとも別に云いたい事があったのか・・・??私はハッキリと明白に云おう。入場料と鑑賞に費やした時間を返して欲しいと。

映画には何かしらの娯楽性なり観客へのメッセージが求められると思われる。だからこそ監督もキャストも映像を通して云いたい事を主張するのだ。「王の男」には全くそれがなかった。駄作の中の駄作と云っても言い過ぎではないだろうと思う。映画を観終わって、私は「硫黄島からの手紙」を観ておけば・・・と地団駄を踏んで悔しがった。こんなにレベルの低い映画を観て満足する観客の目が私には分からない。

この映画は韓国で最大の観客動員数を更新し、各映画賞を総なめにしたとも聞く。それにも私は疑問を持たざるを得ない。観客動員の数が多いからと云っても興行的に成功しただけで、映画そのものの質には結びつかない。映画賞も同じ。韓国の映画評論家は節穴連中が多いものと見える。

今思い返して、ソウルで買ってきた「王の男」のビデオテープを観ているが、やっぱり何も伝わってくるものがない。一切ない。何もない。「女より美しい男」が売りの俳優イ・ジュンギの演技も大した演技ではなかった。暴君であった朝鮮国王・燕山君(ヨンサングン)を演じたチョン・ジニョンの控えめな演技は相も変わらずであったけれど。

「西便制」や「春香伝」、「JSA」や「シュリ」には娯楽性なりメッセージ性が強烈に反映されていて、観ている私は圧倒されいたく感動したものだった。・・これが韓国映画なんだと。これが韓国映画の持つ底力なんだと。日本や香港映画とは違ってエネルギッシュで力があると私はその時に感じた。しかし今回の「王の男」はどうだろう?同性愛的な人間関係に焦点を当てたかったのか、暴君の孤独に焦点を当てたかったのか、それとも単に韓国の伝統芸能に焦点を集めようとしたのか・・・??ピントがぼやけていて、何が主張したいのか、その論点さえ掴めなかった。

韓国映画の質が全体的に低下し、その姿に苦労しているなら話は分かる。「国民俳優」と呼ばれる俳優が先陣を切って抗議デモに参加している事自体、私は異常な事だと常々思っている。ただひたすらに映画作りに没頭すればいいものを。プラカード片手に世間のニュースに顔を曝し、声高に政府の批判を繰り返すのが映画俳優の仕事だとは到底思えない。片手でプラカードを持ちながら、観客に深い感銘を与えられる程の、質が高くて良い映画が作れる筈がないではないか!日本では文化功労者に映画界から高倉健氏が初めて推戴された。地道に映画作りに従事してきた実績を日本政府が認めた事を意味している。
「王の男」はセンセーショナルでも何でもなく、韓国映画全体の質が極めて劣化した事を示す1つの事象となった。明確なメッセージ性も娯楽性も持ち合わせていない映画に感動する人間の感受性や見識を私はまず疑うだろう。少なくとも「王の男」には、観客を感動させる技術も演出も何も施していなかった。それで配給会社は観客動員数がどうのこうの、映画賞を総なめにしたと意気揚揚だが、それは韓国だけの話であって、私はあの映画を認める事が出来る人にお会いしたいものである。民族的素地も完全に異なる日本人が満足できる映画では決してなかった。

有り体に申し上げて、私はこの映画には本当に失望させられた。今まで観て来た韓国映画とは明らかに違っていた。何が云いたいのかが伝わらず、深い感動もなく、エンディングは尻切れとんぼ。・・・「何だこりゃ?」、映画が終わった瞬間に私の口から出た率直な言葉である。

毎週月曜日、映画評論家でタレントのおすぎ氏が福岡にやって来る。九州・山口向けの番組を担当しているからだ。そこでは聞かなかったが、週刊文春の映画レビュー欄で、氏は「王の男」を散々こき下ろしていた。私と同じ事を考え、時間を返せと訴えていた。私は同じ意見を持つ人間が現れて嬉しかったけれど、駄作の中の駄作を見せられる観客もたまったもんではない。氏もそうだったのであろう、「王の男」には星一つの評価しかなかった。完全にバッサリ斬り捨てられた、というよりもケチョンケチョンに扱き下ろされて貶された感覚であろうか。

事実に基づいた虚構なのか、完全な虚構なのかは、今になってみればそんな事はどうでもよろしい。とにかく私はこの映画に失望させられた。それも完全に。面白い素地は何一つなかった。韓国の映画人に忠告しておきたいが、プラカード持って政府に抗議する余力があるならば、何故そのエネルギーを以って国際的に高い評価を受けられる映画作りに集中しないのだろう?片手間でデモをしながら、映画を撮っているような国の作品に、決して外国の観客はその作品の虜にはならないだろう、決して。そんな文化的民度が低い映画なんぞ観たくもないし、頼まれたって観ない。絶対に。何故ならば後悔するのが最初から分かっているから。

映画は人間が相手の唯一の娯楽である。観客を泣かせ、笑わせ、感銘を与える・・・それが映画の果たすべき重要な役割である。今回の「王の男」にはそういった素質が一切なかったのが、残念極まりないが、韓国映画に従事する全ての関係者の粉骨砕身の奮闘努力に期待したいとも思う。彼等が観客に喜んでもらえるように、深い余韻が残るような映画作りをコツコツと一心不乱にする事を心から私は望んでいる今日この頃である。

「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘップバーンには華があった。「ニューシネマパラダイス」には映画という一つの芸術がこんなにも人間を深く感動させてくれるという思いさえもあった。一方で韓国映画は?分断された民族の悲哀、「恨」(ハン)と云われる韓国人にしか持ち合わせない感情の荒々しさ、銭はなくても義理人情に厚い庶民の泣き笑いの逞しさ・・・。全て表現されてきたではないか?今になってイケ面俳優をキャスティングしたりする理由が分からない。そんなにイケ面が好きなら写真集でも買っておけばよろしい。映画という総合芸術にはイケ面も不細工もないのである。結局のところは作品を通じて観客に何を訴えたいのか・・・その一点に尽きるのではあるまいか?「王の男」がそれに値した映画なのかと問われれば、残念ながらさにあらずと申し上げるほかない。名作があって駄作がある、これも世の習いと云ったところであろうか。
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